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人の絆としげたろう(山本繁太郎)

山本しげたろう(山本繁太郎)が寄稿した学会誌 おはようございます。しげたろうの娘です。

今日は趣向を変えて、父しげたろうの書いた文章をご紹介いたしますpen

日本災害情報学会が初めての学会誌を刊行するにあたり、特集としていろいろな分野の人の文章を掲載することになりました。

依頼は当時防災担当の仕事をしていた父しげたろうのところにもやってきましたcat

何事にも必死で取り組むしげたろうangry知恵熱を出しながら一生懸命書いた文章を嬉しそうに私のところへ持ってきました。やや照れくさそうに曰く、「これ、おかしいところがないか見てくれんかcatface

日頃まったく仕事の話をしないしげたろうが珍しく見せてくれた仕事関連の文章です。めんどくさいと思いつつも喜んで目を通しましたbook

文章を読み読み、なるほど父しげたろうはこんなことを考えて今の仕事をしていたのか、と思ったものですconfident

勝手に要約(&解釈)してみると、こんな感じです。

人の絆、すなわち人と人との深い結びつきはとても大切。

周りの人とのかかわりあいの中で、人ははじめて幸せを感じることができる。

相手のことを考え、知りたいと思いながら暮らしていくこと。それは言い換えれば、地域社会が

  • 子供を育て
  • 高齢者をいたわり
  • 近隣を助ける

ことであり、この3点は防災の観点からも重要。

(地震などの災害が起きた時、「隣に誰が住んでるかわからない」というよりも「裏のおじいちゃんは大丈夫かしら」という状況のほうが、より多くの人の命が守られることでしょう)

また防災上大切な、人が情報を受け止め、その内容を評価し、自分の行動に的確に反映する能力(=人の感じる力、考える力)は周りの人との深いかかわり(=人の絆)の中で鍛えられ、向上していく。

近年、「田舎より都市がとにかく重要」という考え方のせいで、弱くなってきてしまっていた人の絆を、もっと強くしていくことが防災につながると、しげたろうは考えていますよ。

以下、文章を転載します。長文ですが、父しげたろうの日頃の考えがよく表現されていますので(&入力するのがものすごく大変だったのでbearing、興味のある方はどうぞ読んでやって下さいませwink

↓のリンクをクリックすると文章がどーんと出てきますshine

(日本災害情報学会誌「災害情報」No.1 Mar.2003 ―特集1 災害情報学に期待する― より引用 転載許可取得済)

人の絆と情報の価値

内閣府政策統括官(防災担当) 山本繁太郎

1 幸せを感じる

 映画「アマデウス」には、好きな場面がいくつもある。お気に入りのひとつは、冒頭、自殺をはかったサリエリが、懺悔を求める若い神父に対して、ウィーンに出てからの得意絶頂の宮廷作曲家時代を回想して、陶然とした表情で、「Everybody loved me. I liked myself.」と語るシーンである。当初公開の劇場版では、これが、「私は幸せだった。」と邦訳され、上手く翻訳するものだと感心した。ところが、その後のビデオ版やテレビ版では、なぜか直訳風に変わってしまい、昨年の秋公開された新編集版でもそうだったのは、残念だった。

 自分に関して不平、不満に思うところがない。そういう心の状態にある者が、自分を信頼してくれる他者と結ぶ関係。その中で、人は幸せを感じるのだ。幸せにする、と言い、幸せになる、と言う。心を澄まして考えると、幸せを自覚する、幸せを感じると言うほうが、実感に近い。感じる力を弱らせる自己嫌悪こそ、幸せから最も遠くにある。

2 自分を証明する絆

 幸せに限らず、自分の置かれている状態、自分は何者か、何のために何をしたらよいのか、などなどを感じ、考え、判断するきっかけは、すべて他者との関係にあると言っても過言ではない。 しばらく前のことになるが、単独無寄港世界一周を達成した今給黎教子さんというヨットウーマンの話を伺ったことがある。偉業を果たすうえでの、最大の難問は、如何にして独りでいることを克服し、精神状態を平静に保つかということだったとのこと。嵐のときであれ、凪のときであれ、大海原にたった一人で風だけが頼りの船を走らせる。そのこと自体が一番の難業のはずである。現実には、その状態が9ケ月も続く。ともすれば、自分は今何をしているのか、何のために此処にいるのか、といった疑問が頭をもたげてくる。しかし、それを聞いてくれる人はいない、疑問は益々昂じてきて、やがて、自分が此処にこうしていることにどういう意味があるのか、無意味ではないかという結論に行き着いてしまう。世界一周を試みたヨット仲間の中には、実際に自殺しようとしたケースもあったという。

 「人は、社会的な動物である」などといわれると、利いた風なことをと、つい反発してしまうが、「アマチュア無線の交信が命綱だった」という今給黎さんの話には説得力があった。自分が何処にいて何をしているかを知ってくれている人がいることが、積極的に物事に取り組むための必要条件であり、さらに、それを評価し、その進展をともに喜んでくれる人がいることが、それを成し遂げるための心のエネルギーになる。

3 情報の価値を知る力

 ところで、アマチュア無線はいうに及ばず、IT技術の広汎な進展で、情報伝達・処理手段は著しく発達してきた。いつでも、何処でも、誰とでも、自由に情報をやり取りする可能性が開けてきた。それに対して、情報を受け止め、その内容を評価し、自分の行動に的確に反映する、肝心な私たち自身の能力は、どのように進化してきているだろうか。膨大な情報に埋もれるようにして暮らす私たちが、日々の生活のなかで、ともすれば忘れてしまいがちな視点である。人の感じる力、考える力は如何にして向上させられるか。運動能力や体力と同様、鍛えるほかはない。周りの人との関わりの中で、よく感じよく考えることである。知りたいと思い、知って欲しいと願う前提となる人間関係の在りようこそ、これを鍛える土俵である。情報に意味を感じ、価値を判断する力が、人と人との深い結びつきの中ではじめて養われるものであり、それが仮に、近年伸びていない、むしろ衰えているとすれば、私たちが生きてきた戦後日本社会が、心を鍛える人の絆を軽く見てきたということではないか。

4 「仕事中毒」と呼ばれた時代

 バブル崩壊以降、日本再生に向けての長く苦しい試練の中で、ある種の共通認識が生まれている。それは、我が国の戦後の復興、高度成長過程に関する捉え方である。日本社会が経験したこの圧倒的な成功体験。それを可能にした政治的、経済的、社会的条件は、先進国であれ、途上国であれ、世界の他のどの国にもない、戦後日本に固有のものであり、私たちは、いつまでもこれを享受できる。多くの人がそう受け止めていた、その前提が実はそうではなく、日本の歴史上、特別の条件が重なって実現した特別の社会状況だったのではないか。むしろ、これからの日本こそ、我が国の歴史に照らしても、国際社会の経験から見ても、これまでよりずっと普遍的な国家社会へと回帰していくのではないか、という認識である。

 テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と呼ばれた時代があった。カラーテレビ、エアコン、車が3cと呼ばれ、快適な生活の象徴として渇望された時代もあった。日本列島改造を論じ、欧州共同体から「日本は、ウサギ小屋に住む仕事中毒患者の国」と指摘された時代を思い起こしてみよう。私たちはどのように考えていたか。

5 田舎より都市、暮らしより仕事

 日本がいよいよ高度工業社会を迎える。これにキチンと対応するためにはどうしたらいいか。高度工業社会が到来すると、過疎と過密の両面から、自分たちの生活はどうなるのかという国民の不安が募っていく。都市では、人口、産業の流入によって、住宅難、交通難、環境破壊が進み、地方では、過疎によって地域社会が維持できなくなる。このまま暮らしていけるだろうかという不安が広がっていく。何とかしなければいけない、という課題意識である。これに対して、大都市への集中という現象の問題としてだけ受け止めるのではなく、日本社会の構造変化として捉えようと考える。そのためには、国土全体をバランスのとれた形で利用できるようにする。大都市は再開発していく。地方は産業開発を進める。結果として、日本列島全体が改造されて、世界に開かれた、ひとつの広域都市圏になる。これが、列島改造論のポイントである。

 ここには、「高度工業社会」という言葉に象徴されるように、富を生み出す力を有する都市を、もっぱら重視する思想がある。集中するとエネルギーが出てくる。仕事の能率も上がる。そういう都市の良いところを、列島全体にあまねく行き渡らせたい、という考え方である。そこには、田園には田園だからできる生活があるはずだという視点がない。なぜ、守るべき田園の価値を活かすという思想が欠落していたのか。大多数の日本人がそれを大切だと感じていなかったというほかない。西ヨーロッパ諸国に比べて、我が国は、工業化・都市化でおよそ百年、自動車交通の一般化で五十年遅れ、両者を戦後ほぼ同時に経験した。これまでどの国も経験したことのない社会変化である。その激しい変化の幻影の中で、田舎は遅れた暮らしの象徴とされ、大都会こそ自分たちを豊かにしてくれるものとして、誰もが憧れていたということではないか。

6 皆が大切だと思うこと

 今日、三権の神器で幸せになれると考える人はいない。これだけの経済大国になって、なぜ私たちは豊かさを実感できないのかと、真剣に自問する人が出てきた。そして、収入を増やし、モノを手に入れるという方向で、個人が努力するだけでは、どうしても実現できない幸せの世界かあることに気付き始めている。近隣から国家社会に至るまで、お互いに共通する利益を協同して実現するという分野である。かつては、煩わしいと敬遠されてきた田舎の生活も、暮らしの質を高めるという観点から、見直す動きが出てきた。

 人は、自分が大切と思うところにしたがって、忠実に行動する。「人は、生きてきたように死ぬ。」という医家の言葉もある。感謝の気持ちで生きてきた人は、最後まで周囲に「有難い」といいながら亡くなるのに対し、不満の人生を送った人は、どんなに立派なケアを受けても、不平をこぼしながら一生を終えるというのだ。

 平素、何を大切にしてどういう暮らしをするかが全てを決する。防災情報学が、人々の日常の心構えに実効的な影響を及ぼすことに、常に関心をもって進展することを切望している。

以上、山本繁太郎(山本しげたろう)の娘のブログでしたchickchickchick

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